« May 2005 | メイン | July 2005 »

June 20, 2005

ギャツビー フェイシャルペーパー「顔モゲハ編」放映中止

ひさびさに広告表現へのクレームからコマーシャルが放映中止。登場人物はジャマイカ調の雰囲気の黒人とサルと本木くん。
早速、メーカー側のサイトにいったら、お詫びはあるけど、肝心のCMなどは完全に削除済み。グーグルとかのキャッシュからは、画像はでないけど、CM紹介はでてくる。「発売10年目の商品に初のTVCM」で検索のこと。
これはどうかと思うので、ちゃんと探索したらはっけ~ん。

img

まずモゲハというのが耳に残るらしく、何人かの広告ウォーチャーが触れてた。
そこで、上記のポスターをゲット。
重要なのは、CMを放映中止に追い込んだ、The Communityという団体(人権擁護団体?)のマンダムへの抗議と経過のページ
ここにはポスターのPDF版やCMの動画ファイルがある。基本的に英語だけど、マンダムとのやりとりは日本語もある。
この手の話は、誰でも議論をできる材料を十分に提供することに意味があるのであって、即刻削除して隠蔽なんてのは見識を疑う。まあ、いままでずっとそうだったんだけど。
ここが消されてもいいように、さっそく保存。

投稿者 it : 11:09 AM | コメント (0)

June 13, 2005

これがテントウムシ2

フタホシテントウだけかと思ったら、実はいろんなやつが生まれてた。
画像は何星かな?
四つ星や八つ星なんてのもいたっけ。


テントウムシの柄は、いつ決まるのだろう。
どうも、同じところで生まれているヤツでも同じ柄はないようだ。
しかも星の数がちがう。ちと不思議。
いろんな柄も多様性なんだろうな、たぶん。

投稿者 it : 5:31 PM | コメント (0)

June 12, 2005

水と油「不時着」

「水と油」というチームがやっている舞台を山口情報芸術センターに見に行った。舞台というか、なんていうんだろう、パントマイム、無声劇? 演劇ではなくて、マイムという方法を使って、パフォーマンスを繰り広げるというやつだ。キリンの協賛で全国9カ所で行われたうちの山口公演。けっこう有名なマイム集団らしい。

oil.jpgphoto:Jun Ishikawa 
山口情報芸術センターのスケジュールより

 内容は、舞台設定をほとんど設けないパフォーマンス・アートっぽいものと、小道具を用いたシチュエーション・コメディ風のものの組み合わせ。上の写真は、アートっぽいもののひとつで、双翼飛行機で飛び回っている様子。
 パントマイムだと一人で表現することが多いと思うが、水と油は数人での表現だから、すごく微妙なチームワークが要求されるような舞台をやっていた。飛行機もそうだが、机や椅子をとっかえひっかえ移動させたり、崖を上がっていったり、といったアートっぽい出し物だと特にそうだ。観客が舞台に集中すると、空間上の上下左右がずれていって、舞台が宇宙遊泳みたくなっていく感覚を味わえる。これも絶妙なチームワークがなせるわざだろう。

05-07-21_14-42.jpg

 マイムで観客を一時間以上も飽きさせないのは難しい。だからちょっとした笑いを入れたり、アートとコメディを順番にやっていく。10年ぐらい前に中村ゆうじのマイムの舞台を見に行ったことがあるが、そのときは十分に時間を楽しめた記憶がある。それはたぶん、笑いを中心にしていたから。水と油は、そのあたりは中途半端だが、全体の内容から見れば批評家には受けがいいだろう。
 下の写真は、公演のときに買った雑誌『バッカス』の「水と油」特集号(ダンスやパフォーマンス専門の雑誌が商業的に続いているのが驚き)。それによると、演目の「不時着」は初期のものでかなり評価されたらしい。かれらのやっていることもフィジカル・アートとかフィジカル・パフォーマンスとか呼んでいて、世界に出ていくことが期待されていた。
 無声劇なんだから、ほかの舞台より敷居は低いかもしれない。世界に出て行くときには、パロディを取り入れたほうがいいと思う。西洋文化に共有されているもののパロディ。
 あと汗を飛び散らせていた、すがぽん、好感持てるけど、汗なくてもっと無機質なほうがいいような気もする。
水と油オフィシャルサイト
05-07-21_14-40.jpg

投稿者 it : 2:31 PM | コメント (0)

June 11, 2005

これがテントウムシ

フタホシテントウっていうのかな?
梅の木のそこら中をウロウロしてるが、携帯のシャッター音がキライらしく、逃げ回って、うまく撮れない。


投稿者 it : 2:34 PM | コメント (0)

庭の梅の木

梅の木に小さな虫がいっぱいついてる。たぶんアブラムシ。
アブラムシといえばテントウムシ。だからテントウムシがいっぱい生まれて、幼虫と脱皮した殻が葉っぱにいっぱいになった。
アブラムシは時期がたてば自然になくなるらしい。ほんとかな?


投稿者 it : 2:24 PM | コメント (0)

さっそくアップグレード

前の時には、すぐしなかったので、今回はすぐにMovable Type 3.17-jaにしてみた。
バージョン3以降からのアップグレードの手順は簡単。
基本的には上書きだけ。
あとは、upgrade名のついたファイルを削除して、cgiのパーミッションを変えるだけ、うちは755でOK(深いディレクトリのcgiはいじらなくてもよいみたい)。
最後に「 Powered by Movable Type 3.17-ja 」が出ればオゲ

変更点やこれからでてくるかもしんない不都合など、
MovableTypeで行こう!
をみるべし。

投稿者 it : 11:00 AM | コメント (0)

June 7, 2005

Movable type 3.17 になる

やっとバージョンアップしたと思ったのに、もう次のやつが9日にでるとのこと。
まあ予告してあったけどね。

日本では現在、バージョン3.151をご提供しています。既にバージョン3.16を6月上旬にお届けすることをご案内していましたが、米国で3.17が出荷されたことに伴い、3.17を2005年6月9日にお届けする予定です

投稿者 it : 9:37 PM | コメント (0)

June 6, 2005

シンプルに

だいぶ変わってきたけど、まだまだ色々と張りたいモノがあったりする。あんまり欲張るとごちゃごちゃするから、あくまでもシンプルに、シンプルに。
カレンダー、ムリにいらんかもなー。

投稿者 it : 4:49 PM | コメント (0)

June 4, 2005

テンプレート

テンプレートをいじってみた。
htmlを直接いじるのはいいけど、
スタイルシートがわから(/_・)/ん
いまいちだ。

投稿者 it : 5:03 PM | コメント (0)

June 2, 2005

表示

Movable Type 3.151-jaになってた、オゲ

投稿者 it : 8:16 PM | コメント (0)

グレードアップ

 3.01Dから3.1にグレードアップした。
前にやったときに、typekeyに入れなくて、
新規で登録してもメール送ってくれないし、ほっておいた。
今日、時間ができたので再トライしたら、すんなりできた。
どうもシックス・アパートが悪かったらしい。
 でも下の表示は、3.01Dのまま、なぜ?

投稿者 it : 8:01 PM | コメント (0)

連続講演「メディア空間の変容と多文化社会」

 グローバル化と文化研究の視座-アメリカナイゼーション再考-

多摩市の文化振興財団が自治体らしくない講演会を主催した。しかも五回連続で、若手売れっ子の学者を起用して。そのトップ・バッターが吉見俊哉。どうも主催側と企画を練ったのも彼らしい。表題を決めて、人を集めたのだろう。吉見俊哉らしい人選だ。他の四人は、大澤真幸(社会学)、小森陽一(文学)、田嶋淳子(社会学)、山中速人(文化人類学)。
 講演会は、パルテノン多摩という所の4F第1会議室で行われた。パルテノン多摩は、多摩市の中心、というか東京西部の計画的な郊外造成地の中心、である多摩センター駅(京王・小田急)のシンボル的な位置を占める建築物だ。駅を降りて左手に向かうと、まっすぐに続くプロムナードがある。ホテル、スーパー、百貨店などを横目に見ながら歩くと、福武書店改め「ベネッセ」の高層ビルが目立ち、その向こうには「サンリオ・ピューロランド」が見える。すでに視界に入っている正面の異様な建築物に向かうと、それが巨大な階段だと気づくだろう。もちろんこれは、パルテノン神殿ということ。この階段を実際に昇ると、湖(池?)があり、それを過ぎると、緑の丘陵地(公園?)が広がる。開放感あふれるこの1キロ四方ほどもある広場は、郊外居住者の憩いの場だ。とても清潔で、とても人工的な。ここの芝生に寝っころがって読書でもすれば、 Tokyoという感覚はまるでしないだろう。かく言うぼくも、一時期ピューロランドの裏辺りに住んでいた。けど、狭い部屋がどうしてもイヤになって三ヶ月で引っ越した。

tama.jpg

 神殿4Fの会場へ、長テーブルを置いただけの受付で、¥2,000を払う。これは五回通しの料金、一回だけだと¥500。どれくらいの広さかと、思いめぐらしながら部屋へ。100人規模の会議室。以外に広い。観客も続々入ってくる、満席だ。

 さて、講演の内容は、アメリカ化についてだった。具体的には、アメリカの影響に戦後日本がどう対応してきたかについて。でも結局言いたいことは、ローカル(日本)はグローバルな諸力(アメリカ)に一面的に影響されるのではなく、独自に対応しているのだ、という理論的には周知のグローバル-ローカル図式だ。事例として取り上げられているのは、アメリカ的生活様式の体現から、日本の技術の優秀性へとイメージを変化させていった「家電」広告というもの。このようなトピックを扱う上で、従来の大衆文化としてのアメリカ批判と、そのような大衆文化批判自体の欺瞞性を暴いてきたカルチュラル・スタディーズ(CS)という対比は、もちろん吉見俊哉もよくわかっているし整理もしている。けれども、どうもそれらをうまく整理し切れていないし、うまく生かし切れていない。

 というのは、広告の扱い方がまずいからだ。広告の言説分析は、従来から多く行われてきているし、一定の成果を挙げてきたとは思うが、CSが示唆したのは、言説分析だけではダメということではなかったか。広告の言説だけで、現実を映したような気になっているのが一番まずい。この講演では、広告のレトリックを語りますというようなものではなく、広告に見るアメリカ・イメージの変遷になってしまっている。問題は、それぞれの歴史的時点で、人びとがそれぞれのイメージ構築を、どのように受け取り、それにどのように対処してきたか、ではないか。そうでなければ、メディアとオーディエンスの関係、グローバルとローカルの関係は見えてこない。ここでは、CSのオーディエンス論が、その手法をエスノグラフィーに移してきた理論的意義が受け継がれてはいない。

 実際、広告表象はグローバルな諸力それ自体であることもある。ここでの事例の電気製品製造会社(ex. Panasonic, Sony)が、自社製品のイメージを「技術力」に移してきたのは、逆に世界に向けたグローバル戦略でもあるわけだ。一面的なアメリカ=グローバルなどは当然成り立たないし、グローバルが吸収される領域、経済的な諸力なども全く視野に入っていない。広告表象は、技術的、経済的、マーケティングなどの専門家の領域でもある。そういうことを無視して、グローバルに対抗するローカルを単純に強調することはできないはずだ。 質疑応答で出ていた素朴な疑問「そうはいっても今は景気が悪くて、規制緩和で、グローバルな力を感じずにはいられない」(こういう主旨だったが、うろ覚えです)に、吉見がうまく答えられなかったのは、おそらく事例の広告イメージが、あまりよい例ではないと本人もわかっているからだろう。傾向としては、グローバルに巻き込まれながらも、どこかでローカルな面と重層的関係を保っている、逆にローカルが前面にあっても、どこかでグローバルに覆われているという流れになるはずだ。それらの個別的な諸相を見ていくこと、それが大切だし、そこからのみ、流れとは違う方に向かっているものを発見することもできる、のではないだろうか。もうちょっと頑張れ、吉見俊哉。

この記事は前のHPに掲載していた1998/02/07のものです。

追記:この講演会の内容は1999年に『メディア空間の変容と多文化社会』 として青弓社ライブラリーから刊行されています。

投稿者 it : 4:19 PM | コメント (0)

マクルーハン・プログラム/Monday Night Seminer in ICC

マクルーハン・プログラムというのは、トロント大学でマクルーハンの後継者たちが行っている研究グループで、メディア論がらみの学際的研究といったところ。1960年にマクルーハンによって始められた Monday Night Seminer というのは、マクルーハンがゲストを呼んで一般公開で行っていたセミナーらしい。さてどういうことかというと、現在でもカナダでやっているこのセミナーを日本側と一緒にやろうという企画なのだ。要はテレビ会議。この試みは三週にわたって続けられた。けど、気づいたのが遅かったので、最後の一回だけに参加。しかも遅れていったので、いきなり大画面でカナダ側がしゃっべっていた。カナダ側の様子はざっくばらんで、別に形式張っているわけでもなく、堅苦しくもない。カナダ側でしゃべってると思ったのは、詩を読んでいるのだった。poetic reading ってやつね。「メディアは匂い、それは....」、「メディアは触覚、そうそれは....」などどやっている。セミナーのオープニングの恒例らしい。日本側は広くて暗い部屋で、大画面を前にして50人ほど扇形に座っている。一番前には、長テーブルを前にして数人、多分日本側で今日メインに発言する人。画面の向こうには、ヒゲをのばしたジっちゃんと、妙に明るい中年のおじさん、おばさんの三人が前面に並んで座っている。後ろには大学の近所から来ましたって感じの多種多様な人が30人ほど。資料を見ると、ヒゲのジっちゃんは、何とマクルーハンの息子であり共同研究者エリック・マクルーハンではないか。中年のおじさんは、Alphabet Effect を書いていたロバート・ローガンだ。おばさんはプログラムの総ディレクター。

2-3-1.gif当日の模様

 進行は、まずはカナダ側がロバート・ローガンの新著 Fifth Language を含めたお話。日本側が CGアートで有名な安斎利洋による、コラボレート作品「連絵」シリーズのモチーフ紹介。そしてNTT の技術研究員(松澤和光)による、人工知能の設計思想のお話。かみ合っているのかいないのか、よくわからないが、カナダ側はふんふん聞いていた。日本側は、発言者以外は暗い部屋のなかでピクリとも動かない。怖い。動きがあるのは、同時通訳双方の音声やら技術的な不都合が生じたときのスタッフのみ。カナダ側もこっちの映像を見ているはずだから、めちゃくちゃ不気味な民族(と思ってれば)だと思うだろうな。どうもテレビ会議のようなシステムは、発想的にまだいまいちの観がある。当然、双方ともホームページなるものを利用しているのだが、URLを教えるのに紙に手書きして画面に出すってのはいただけない。どこか間違っている。どうもこの場はNTT-Dataの実験場という感じらしい。セミナーが終わったときにも、カナダ側は手を振っていろいろとやっているのに、こっちはバラバラと解散、この雰囲気をどう捉えているのだろうか。まあ、あちらは夜も遅くなって後は家に帰るか、飲みに行くかという時間で、こっちはやっと昼がまわったぐらいでまだ一仕事という違いはあるが。

 セミナーの内容自体よりは、トロント大学でマクルーハンのアイデアを軸にした研究が持続的に行われているということに感心した。Monday Night Seminer は毎週行われているのだ。こういうことが身近に感じられるのは技術のおかげ。でも言葉の壁はきつい。英語ぐらいとも思うのだが、これをみなわかるようになるのは大変だなやっぱし。今回のセミナーの眼目は、どうもデリック・デ・ケルクホブの Conenected Intelligence(結合知)にあるみたい。脳や身体の拡張をさらに越えて、知性のネットワークを中心に置こうとする考え方だ。蓄積された記憶の参照ではなく、知の結合という考えは、一個人からの拡張ではなく、ネットワークを動く多くの個の素早い出会いの方を重視する方向であるだろう。邦訳書が、98年春に刊行予定とのこと(これは『ポストメディア論』としてNTT出版から刊行された)。

 セミナーの後、併設されているインターネット・カフェで珈琲を飲んだ。横には「InterCommunication」の最新号とかが置いてある。壁側には全号置いてあった。同じスペースには、メディア思想&メディア・アートのみの小さな本屋さん?があって、ゆっくりと品定めもできる。20台ほど置いてある PowerBook をいじってみたが、繋がらない。隣のやつも繋がらない。その次のやつ、繋がった。ちゃんとメンテしろよ!。とかやってるうちに帰らなければならない時間になって、結局ミュージアムの方には行けなかった。ここに行くときは、時間に余裕を持って....。公開研究会は定期的にやっているみたいだから、興味がある人は要チェック。

 追記:家に帰ってマクルーハンのCD-ROMを見たら、今日いた三人もインタビューに出てた。全然記憶になかった。パッケージ・メディアとライブでは、やはり対象に対する関与が異なるのでしょうか。

この記事は、前のHPに掲載していた1998/02/03のものです。

投稿者 it : 4:08 PM | コメント (0)

Roger Silverstone, Televison and Everyday Life, Routledge, 1994 

シルヴァーストーンは、「情報及びコミュニケーション技術プログラム(PICT)」リサーチという共同研究に長い間携わっている英国サセックス大学メディア研究の教授。この共同研究はここ数年で研究成果を書籍の形で多くまとめているが、本書自体はこの共同研究に沿ったシルヴァーストーン自身の単著となっている。

 この本を読み始めたのは、別にコレっていうわけではなくて、デビッド・モーレイを読んでいた延長線上。共同執筆の論文があって他のも見てみようと思って、たまたま手に取っただけ。この本の前には、Consuming Technologies: Media and Infomation in Domestic Spaces, Routledge, 1992. という共同編著があって、こっちもPICTリサーチの成果となっているみたい。こちらのアンソロジーの方は、電子レンジやテレビ、コンピューターや電話など、いくつかのテクノロジーとの家庭内関係をジェンダーやコミュニティを軸にして論じているものが集められていて、なかなか面白かった。他のシルヴァーストーンの論文もすぐに手にできるものは、見てみたので新しいものを辿っての本書となる。

もともとモーレイの方に興味を持って読み始めていたので、そんなに力入れて読んでなかったんだけど、どうもシルヴァーストーンは、モーレイの'80年代後期の仕事の先を進んでいる。モーレイは、テレビ・メッセージの受容過程をホールの図式を援用しながら、階級や人種などを軸にして従来の受容研究よりかなり社会学的にやっていた。でも同じ方向で持続的にやるというよりは、より社会学的な方向に移っている。テレビ・メッセージや言説のコードを絡めた解読が視野からハズレ(コレは結局結論は見いだせていない)、家庭内のテレビをめぐるジェンダー関係の研究などをするようになって、シルヴァーストーンと近くなっていったようだ。

 シルヴァーストーンは、本書のタイトルにもあるように、テレビと日常生活との関わり合いを体系的に論じようとしている。基本的な考え方は、以前のいくつかの論文と変わらなかったので、興味がある人でも読むのは論文だけでもいいかもしれない。とはいっても、こっちは単著だから量が違う。周辺的なことも多く述べられている。まず全体的には、英国らしくギデンズの構造化理論と存在論的安心の概念を持ってきて、ギデンズは語っていない日常生活における「テレビ」の重要性を、これらの理論や概念に繋げていきたいという意向らしい。シルヴァーストーンがやりたいのは、現代社会なので、もちろんテレビが私的生活と公的生活の相互関係にとって、重要な要素となるわけだが、それを広く取ると、彼の用語で「テレ-テクノロジー・システム」の発達と日常生活との関係というところだろう。でも内容自体はほとんどテレビが中心。で、そのシステムが置かれている「家庭」が、もう一つの焦点となる。「家庭」といっても色々あるけど、テレビが置かれる家というぐらいの広い意味で使っている。というのは、多様な家族関係や同居関係なども考慮に入れているからだ。そしてこの「家庭」も現代社会らしく、一番重要なのは「郊外」。

 基本的な要旨はここからなんだけど、従来のテレビ受容研究とはちと違うことになっていく。ひとつのキーワードとなっているのは、モーレイも重視していた「家庭」の「モラル・エコノミー」。この家庭のモラル・エコノミーに従って、テレビがそれぞれの家でどのように受容されるのかを、それ自体「消費」過程として捉えている。だから、テレビ・メッセージの受容だけでなくて、「モノ」一般のなかの特殊ケースとして、テレビというテクノロジー全体の家庭での受容を考えるということになる。なぜ特殊ケースかというと、情報及びコミュニケーション・テクノロジーは、モノ一般とは違って、二重のアーティキュレーションのある存在だから。この用語はスチュアート・ホールにもあるけど、意味は違う。シルヴァーストーンは、テレビのようなテクノロジーは、ひとつの消費される「物」でもあり、ひとたび家庭に入ってくると、メッセージというさらなる消費対象がある、という意味で使っている。二重の観点と意味で消費されるからだ。

 実は、面白かもしれないのはここから。メディア論というよりは、消費論になっていくのだ。メアリー・ダグラスやダニエル・ミラーの消費論を援用しながら、その消費を通じて、人々がどのように消費対象である「モノ」とネゴーシエーションをしているのか、ということを分類しているのだ。この辺がCSのメディア論やサブカルチャー論と通じているところで、ここらの概念は使えるかもしれない。詳しく述べると細かいのでやめとくが、四つの分類だけは書いとこう。appropriation, objectification, incorporation, conversion. でもこれらの分類は、論文によって若干重要度が変わっていたりするので注意。こんな話しが出てくると必ず出てくるのは、ミッシェル・ド・セルトーだが、本書でもかなり彼を買っている。シルヴァーストーンの偉いところは、これらの消費のネゴーシエーションの分類を二重のアーティキュレーションの両方に当てはめて考えているところだろう。でまたここで必ず問題になるのが、アクティブ・オーディエンスの概念。シルヴァーストーンは、だいたいアクティブかどうかって考えるのが間違っているんで、アクティブというか何か反応してるに決まってるじゃんといっている。だから、アクティブどうのこうのはやめて、「エージェンシー」という用語を使いましょう、という提案だ。まあ用語の問題は置いといて、だいたい最近ではこういう流れが主流だろう。

 本書のようにメディア論関係に興味がない人でも、上述の Daniel Miller を読んでみるのはいいかもしれない。メアリー・ダグラス等の方は浅田彰の邦訳本があるが、こっちを批判して発展させているということになっている。ミラーはさらに1998で、The theory of shopping というのを出している、ちょっと見ただけだけど薄い本だったよ。シルヴァーストーンやPICTリサーチに興味がある人は、どんどん続編のアンソロジーが出てくるみたいだから、注意しておいたほうがいいだろう。すでに、Communication by Design, Oxford University Press, 1996. という論文集もある(他にもどっかで見たぞ)。Consuming Technologies と本書がPICTリサーチの第一局面で、こっちは第二局面に突入ということになっている。内容の方も、消費過程や受け手中心の考察から、生産、製作、マーケティングなど送り手過程の考察を入れるようになって、さらに幅が広がっている。でも、こんな多産だと着いていくのが、大変になるよね。

この記事は前のHPに掲載していた1998/02/15のもの(古っ)です。

投稿者 it : 3:53 PM | コメント (0)