June 3, 2010
キャロリン・コースマイヤー『美学 ジェンダーの視点から』三元社
最近、美学関係の本を読むことが多くなった。古典主義からロマン主義への移り変わりに近代的な心性への変移があるのかなと思って、基礎知識をえようと思っているのだが、ロマン主義をとらえることが思いのほか難しくてなかなか進まない。このコースマイヤーの『美学』は、たまたま図書館の新刊棚にあって、目次に興味を引かれたのでとりあえず読んでみようと思い手にした。
美学が学として誕生したのは、18世紀半ばだときまっている。というのも1750年のバウムガルデンの『美学』がその学の出発点だとされているからだ。
だから、というのもなんだが、最近の美学関係の専門書には、「美とは何か」なんていう問いは発しない。学の成立根拠の問い直し、これが他分野以上に美学の切実な問題群になっている。この場合、18世紀の半ばに美学が必要とされた背景やその後の展開に焦点を合わせることが多い。
18世紀に現れた思想には、快、趣味、崇高、天才、想像性といったものがあるが、それらはみな美学の成立に関係している。それ以前の古典主義的な美学は道徳性や神の概念を重視していたが、啓蒙思想が受け入れられるにつれ、美の概念は変容を迫られる。そして、啓蒙思想からの離脱や自律をめざす形で、ロマン主義的な思想が登場してくる。まさに美学は、そのまっただなかで成立していく。
この本は、そうした学の成立以降を、副題にあるように、ジェンダーの視点から問い直すことを主眼としている。ジェンダーの話では、理性と感情のような二項対立概念が男女に割り振られ、およそ男が優位に立つようになっている、というか男を守るような立論が立てられるわけだが、美学にももちろんこの対立概念が生きている。
たとえば、技芸が芸術概念に変わるとき、実用芸術や応用芸術や大衆娯楽ではない、つまりは実用的な価値ではなく美的価値だけが重視されるようになる。これによって家庭で行われるような様々な手仕事は美学から除外された。ロマン主義では天才概念があらわれたが、想像力と感受性にすぐれた天才といった考え方は男の概念とは矛盾する。だからか、それまでは想像力も感受性も女性側の概念である要素が強かったのに、概念の擁護のために女性からそうした要素を剥奪する。よって天才には女はいない。古典主義時代から優れた芸術家に女はほとんど登場しない。女は芸術から占め出されていた。
少々残っている女性芸術家の作品についての著者のエピソードがおもしろかった。学生時代に、とてもいい感じのバロック時代の作品を鑑賞したときのこと。それは女性名の作品だったが、著者をそれを男なのに変な名前と思ったのだという。優れた芸術家に女はいないのは当然の考え方になっている。
この本を読んで気づかされたのは美と崇高をめぐるバークとカントの思想のマスキュリニティだった。バークもカントも当時の新しい概念である崇高を持ち上げたのだが、著者の指摘するとおり崇高概念は明白に男性的な要素を持っている。この時代、悪評の一つは「女々しい」という批評だったという。
本の流れとしては、味覚や身体感覚や女性アーティストの作品へとつながっていくが、あまり興味を引かなかった。このあたりは現代芸術のわかりにくさにもつながっているのだが、メディア・アートのわかりにくさにも同じ感じがあり、なんだかんだいってもまだ美学は美学を引きずっているんだなと思う。
投稿者 it : June 3, 2010 12:36 PM
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