講 演


「大学生をカルトの罠から守るために」


浅 見 定 雄 先 生

2001年7月7日フォーサイト大会議室において学生生活課及び宗教教育センター主催の「統一協会など新宗教にかんする研究懇談会」が開かれた。この会は悪質な新宗教の被害から学生を守るために1990年に本学の教員が神奈川県と東京都内の大学教職員有志に呼びかけて結成し、以来11年間、年1度の研究懇談会を続けてきたものである。今回は元東北学院大学教授、浅見貞雄先生を講師に迎え、上記の題で講演をお願いした。これはその講演を編集したものである。現在カルトのしつこい勧誘などで困っている人があったら学生生活課または宗教センターに相談して下さい。

すべてのカルトが 大学生をターゲットとする。
 この講演の題は指定されたので、一応そのままにしておきますが、すべてのカルトが大学生を重要ターゲットとしており、とくに大学生だけをターゲットにしたカルトというのはありません。これは当然のことで、大学生は、心身・経済・時間などすべての面でカルトには「うま味」のある対象なのです。そしてスティーヴン・ハッサンが「マインド・コントロールの恐怖」で指摘しているように、カルトは「重荷になるような人々、たとえば重い情緒的あるいは心理的問題をもつ人々を勧誘したがらない。カルトには障害を持った人々はほとんどいない」のが実情です。なぜなら彼らの世話をするのには時間と金と努力がいるからで、カルトはそんな重荷は引き受けたくないのです。後述するカルトの特徴である法外な寄付の強要などのほかに、障害者・老人・貧しい人たちを排除することも、その宗教団体がカルトであるかどうかを見分けるポイントになります。

カルトとは何か
 
cultは崇拝・宗教儀礼を意味するラテン語のcultusから来ており、それ自体悪い意味はない。しかし現在英語のcultは、1)特定の教祖や教義に熱中する比較的小さな閉鎖的集団、2)その中でもとくに破壊的なもの、を意味します。フランス語ではセクトと呼んでいます。破壊的セクトとしてフランス国民議会報告書にあげられた172団体のなかで日本と関係があるものでは統一協会、神慈秀明会、幸福の科学などがあります。日弁連消費者弁護士会発行の「消費者ニュース」ではオウム真理教(アレフ)、法の華三法行など8団体があり、それ以外に最近大きな社会問題となり、マスコミに取り上げられた団体では、ライフスペース、日蓮正宗顕正会などがあります。その他、大学生が多いカルトとして○○キリストの教会、ヘブライ研、M・Sなどの団体があげられます。

破壊的カルトとは何か
 それでは何をもって破壊的カルトというか。フランス国民議会セクト調査委員会報告書などが詳しい基準を示していますが、私は憲法に基本的人権として示されている思想・良心・信教の自由を犯すなら、それは破壊的カルトであると考えています。たとえば信徒にたいして法外な寄付(金銭や土地など)を要求したり、厳しい労働を課して得た金銭を献金させたり、家族や友人などとの交わりを絶たせたり、ホームなどに拘束したり、情報コントロール(反対や批判は読むな、見るな、聞くなと指導される)を強制したり、脅しや呪縛(時には呪い)によって教団から離脱できないようにするなどの行為はすべて基本的人権の侵害にあたりますし、これをやっているカルトはすべて破壊的カルトです。

大学生をふくめ若者は なぜカルトにとりこまれるのか
 1995年オウム・サリン事件の後に行われた高校生から30代までの人達への聞き取り調査(朝日、NHK、サンケイ、週刊朝日、週刊新潮、TBS)の結果をまとめて見ました。それによると、彼らは1)息苦しい社会からの離脱願望を持っている。(「心のよりどころや自分の居場所がどこかに欲しい」「オウムでは20代でも“大臣”になれる」)2)生き甲斐・自己実現を模索している。(「今まで生きてきて、もうイヤだと思ったことが何度もある」「普通の人とは違った生き方をしたい」)3)不安である。(「物質的には恵まれているが精神的に不安」「先が見えない」)4)心の友がない。(「現代は本音を語るのが格好悪い」「学歴社会の中では悩みや本音を語りあう仲間を持てない。」)また若者は老人や成人にくらべて、UFO、超能力、占い、幽霊、死後の世界を信じる割合が圧倒的に多いという結果も出ています。またオウム以後、宗教が警戒されるようになった反面、カルト的なものには無警戒な傾向が見られます。
 またあの事件の直後、都立高3年生が書いた感想文によると、3割が一定の理解と共感を寄せています。「若者が入信してしまうのは何となく分かる気がする。…(大人に)聞いてほしいことを聞いてもくれないのはつらいし、すがるものを探してしまう。そんな時手を差し延べてくれるなら(私もきっと)喜んでオウムにのめりこむだろう」「オウム真理教は今の時代だからこそ生まれたのではないか。すきまにうまく入ってきた」)
 1983年横浜市で中学生が集団で浮浪者を襲撃して死亡させた事件以来ここ20年、少年の犯罪の凶悪化やいじめを苦にした自殺の増加が問題になっています。とくに17才の少年による衝撃的な事件があいついで、「17才に何が起きているのか」と世間を驚かせました。17才だけでなく世の中全般の傾向として、明確な善悪の基準が無くなっており、したがって「何故人を殺してはいけないのか」といった問いにたいして、大人がしっかりと答えていない。だから若者たちも善悪にたいしてあいまいな感覚しか持てないのです。また、彼らは家族でも学校でも精一杯「いい子」を演じています。そうしないと周囲に受け入れられないからです。そして同調傾向が強くて群れていなければ居場所がないんです。それでいて、「いい子」でいることでグループのなかで浮いても生きていけないので、今度は皆と同じように突っ張らなければならない。
 そういう状況のなかで個を確立して大人に成長していくのはきわめて困難なことです。いずれにしても彼らは強いストレスを抱えているのです。その息苦しさが爆発するのが犯罪や自殺なのです。爆発しないまでも、周囲の人間との間でストレスと自己矛盾を増大させながら、本音で語れる友達がいないという若者が多いのです。彼らの孤独につけこんで若者だけの「居場所」(「道場」「ホーム」)をカルトは提供します。まさに「時代のすきまに入ってくる」のです。

若者がカルトの罠に はまらないようにするには
 カルトにとりこまれる若者たちは、特別な人ではなく普通の人です。むしろ真面目で、自分の生き方を真剣に考えている人が多いです。ですから、カルトの問題は真剣に人生を考える若者すべての問題なのです。人生航路の選択幅が広くなるということは迷いも大きくなることで、それだけで自己確認も困難になるのです。若者の「自分」探しの悩みは先進国共通の問題なのです。ですから若い人たちに考えてほしいのは、忍耐をもって本当の自分の価値・生き甲斐を自分自身で見出す努力をしてほしいということです。そしてカルトの提供する幻想の「自己発見」(「生き甲斐」「使命感」も含む)と、本物のそれとを見分ける批判力を我慢強く養っていただきたいと言う事です。
 またカルトがこれほど多くの若者をひきつけるのは、既成の宗教に魅力がないからです。とくに関東学院はキリスト教を建学の精神としている学校ですから、おおいに反省しなければならないと思います。キリスト教は本当に若者に目をむけているか、教会や学校は彼らの「居場所」になっているか、彼らをありのままに受容しているか、「み国を来らせたまえ」と祈りながら、その「途上」にある教会やキリスト教学校の使命を自覚し、責任を果たしているか、と。

(浅見先生には専門の旧約聖書学以外に新宗教にかんする著作も多い。下はその一部。「ペンよ、奢るなかれ」は統一協会に勝訴した最近の裁判記録。)  (編集・文責:関東学院大学宗教主事会議)





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